昨日、久しぶりにパートナー弁護士4人で食事に行きました。

どのような流れだったか忘れましたが、輪廻転生を信じるかが話題になりました。

4人のうち1人が信じていると語っていました。というか、語っているというよりは、ほぼ強弁に近かったです。

その弁護士をS弁護士としましょう。

彼は、輪廻転生の論理的前提として魂の存在を信じていました。

そこで、ボクは彼に質問しました。

もしボクが死んで魂になる。そして、生まれ変わるときに、別の人のカラダにのりうつっていく…。
その産まれてくる赤ちゃんは、ボクに似るのか、それとも親に似るのか。ボクの魂の個性と親のDNAはどちらが優位するのか。

S先生もさすが弁護士です。負けていません。ボクの魂は、できるだけボクに似た赤ちゃんにのりうつるようです。したがって、ボクの個性とその赤ちゃんのDNAの矛盾は起こらないとか(なんだそりゃ!)。

魂の話題ついでに、幽霊をみたことがあるか、という話になりました。そこで、ボクが「是非、一度会ってみたい」というと、先ほどのS弁護士。よほどボクの意見に賛成したくないらしく、

「それはおかしい。恐い顔してじーっと見られても、それでも見たいのか」と…。

そこで、ボク。「幽霊が恐い顔して出てくるという決めつけがおかしい。もし、すごい美人の幽霊がにこっと微笑んだらどうする?それでも会いたくないのか」

S弁護士も負けずに反論。「いや~、美人でも嫌だ。幽霊は成仏していないわけだから、必ず恐い顔をしているはずだ」

そこで、女性のH弁護士が突っ込む。「奥様の幽霊でも会いたくないですか?」

すると、S弁護士。「あ、妻なら大丈夫。」

間髪を入れずに、ボクが質問。「奥様も成仏していないのだから、恐い顔をして出てくるのではないか。それでも大丈夫か」

S弁護士は、「それでも、妻なら大丈夫」

そこで、ボク。「では、恐い顔が嫌なのではなく、知らない人の幽霊が嫌だということではないのか」

ボクたち弁護士は、こんなにくだらない話題でも、論理的思考力を養うために、理路整然(?)と語り合うのです。