確かに、謙虚な人は他人から好かれます。
いや、それどころか人間として「完成度の高い人物」と評価される場合すらあるでしょう。
謙虚な人=立派な人、という方程式が成り立っています。少なくとも世間では…。
しかし、ボクはこの考え方に疑問を持っています。
高校を中退し、偏差値が40以下だったボクが大学受験を目指したのは、ボクが高慢な性格の持ち主だったからだと思います。
司法試験を目指したのも同じです。当時、合格率3%の司法試験に自分なら合格できると信じていたのも、ボクが高慢だったからです。
「自分の身の丈を知る」という謙虚な性格の持ち主だったら、大学受験もしなかったし、司法試験も目指さなかったと思います。
そして、仕事に向かう姿勢も基本的に同じです。
自宅兼事務所でたったひとりで立ち上げた法律事務所を約8年で弁護士20名以上の法律事務所に育て上げました。
そして、今は「日本一の法律事務所を目指す」という目標を職場で喧伝しています。単なる思い込みではなく、自分なりの業界分析の結果、本気で可能だと思っています。所属弁護士や職員に対しても、ボクなりの根拠を示して説明しています。
大きな目標を達成するためには、高慢さに裏打ちされたエネルギーがどうしても必要です。
でも、謙虚さがないと大きな落とし穴に落ちてしまうこともまた真理だと思います。
そこで、ボクは、高慢さと謙虚さを両立させるため、次のように考えました。
将来の可能性に対しては高慢な姿勢で、現状の自分に対しては謙虚な姿勢で臨むというバランスです。
最後に、高慢さに関するショーペンハウエルの言葉を紹介します。
「偉大な精神の持ち主が謙遜の徳を具えている、というのは、世人の気に入ることであろう。しかし、そのようなことは、残念ながら形容矛盾である。
彼が真価のある偉大非凡なものを生み出すことができるのは、自分と同時代の人々の流儀や思想見解をなどをまったく無視し、彼らが非難するものを平然と創造し、彼らが誉めそやすものを軽蔑するからにほかならない。
この高慢さをぬきにしては、偉大な人物というのは、ありえない。」(ショーペンハウエル著「知性について」岩波書店)