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 作家の塩野七生さんが、何かの本で「男のおしゃれ」について論じていました。

 彼女は、男を「オシャレ」という切り口でいくつかに分類してましたが、何でも「見て分かるオシャレな男」は、女に対して手の内を見せている、御しやすいカワイイ男だと論じていたのが笑えました。

 ボクは、男がオシャレをする前にやっておくべきことがあると思っています。

 それは、「仕事ができる顔を作る」ことです。

 別にハンサムである必要はないと思います。でも、せっかく仕事ができそうなやり手のツラ構えをしているのであれば、オシャレをしないともったいないと思います。時に服装は、その男の有能さを補強する役割を持っていると考えるからです。

 ちょっと想像してみてください。

 やり手の男がアルマーニのダークスーツに身を包んだら、さらに「やり手」に見えると思いませんか。やり手の男に似合うファッションというのは存在すると思います。

 逆に仕事ができないオーラが漂った、ひ弱なツラの男がそんなの着ても滑稽なだけです。

 草食系のメス化した、情けない顔の男にナチスの軍服を着せても、チンドン屋を通り越して悲劇になっちゃうのと同様です(ナチスの軍服はカッコいいですよ)。

 もっとも、ボクが言っているオシャレとは、あくまでも「やり手」を演じるツールとしてのオシャレであって、そこから逸脱した一人歩きのオシャレは、逆に頭の悪さを表現してしまうので注意が必要です。

 オシャレが自己目的化していると、中身のない男であることを表現している気がしてしまいますから。