1 勤務先と元上司に損害賠償命令

 2009年10月22日の日経新聞(朝刊)に興味深い裁判記事が出てました。
 勤務先で上司からパワハラを受けた女性職員が、そのパワハラが原因でうつ病になり退職を余儀なくされたと主張し、会社とその元上司を相手取って損害賠償を請求した裁判です。

 同紙によると、この事件を扱った鳥取地裁米子支部は、10月21日、会社と元上司に対して、慰謝料など330万円の支払を命じる判決を下したそうです。
もっとも、裁判所は、パワハラとうつ病との間の因果関係は認めたものの、退職との因果関係は認めなかったようです。

 この女性が主張するパワハラの詳細は判決文を見ないと分かりませんが、報道で伝えられている範囲で言うと、ほかの社員がいる前で仕事上のことで問いただすなどされたということです。これだけで、何でパワハラなのか理解に苦しみますが、実際の内容はもっとひどかったんだと思います。

 なお、この裁判では、パワハラをしたとされる元上司に対してだけではなく、職場環境の配慮義務違反も認め会社の責任も肯定しています。会社の責任も認めている点で画期的なように見えますが、法律家の常識からすると当たり前です。

 ところで、この裁判の判決が出された時点では、パワハラをしたのは、元上司となっているので、パワハラをしたご本人も会社を辞めているようです。当然パワハラをしたときには会社にいたはずですが、この件で責任を取って会社を辞めたんですかね?新聞記事にはそこまで書いていなかったので、ちょっと分かりませんが…。

2 パワハラが頭痛のタネになる

 今回このような裁判例を紹介したのは、これがユニークな裁判例だからではありません。むしろ、このような裁判が増えており、しかも会社の責任が肯定された事件も少なくないのです。その意味で、この裁判例は氷山の一角だと思ってください。

 実は、これからは、企業経営にとって、パワハラが人事・労務管理上の頭痛のタネになるのではないかと私は見ています。
 日本でもセクハラ問題が大きく取り上げられるようになり、多くの企業がセクハラ防止対策を社内で構築したはずです。
 実を言うと、セクハラを予防することはそれほど難しい問題ではないと私は思っています。そもそも「セクシャル」なものは職場に必要がないので、紛らわしいものも含め、少しでもセクハラの疑いがある言動は職場から一掃してしまえばいい。それで仕事の生産性が下がるということはないはずなんです。

 しかし、パワハラの場合は事情がかなり異なります。企業は組織ですから上司から部下への指揮命令で動きます。その意味で立派な権力機構なんですね。なので、職場に「セクシャル」なものは一切不要ですが、「パワー」は必要なんですね。このパワーを行使せずに機能する組織なんて存在しません。その点では職場も例外ではありません。

 そうすると、職場には、正当なパワーと不当なパワハラがあることになりますが、パワハラ被害を訴える職員は、自分にとって不快に感じるものは全てパワハラだと認識する傾向にあります。したがって、裁判所が正当な権限行使として評価する言動であっても、その職員がパワハラだと感じればそのような訴えをしてきますので会社は対応を迫られることになります。これは考えてみれば当然ですね。職員は法律の専門家ではありませんから、何がパワハラかについて正しく判断できているとは限りませんので。これが第一の頭痛のタネです。

 頭痛のタネはもうひとつあります。それは、正当なパワーの概念がどんどん狭くなり、逆に不当なパワハラの概念がどんどん拡大していく傾向です。つまり、何が正当で何が不当なパワハラかは、時代によって変化していくということです。
 私は、多くの労使紛争にたずさわった経験から確信しているのですが、昔と比べて職員の職場環境はずっとよくなっていると思います。職員の権利意識も高まり、私たちの時代と私たちの親の時代とでは天国と地獄ほどの開きがあると思います。

 しかし、です。確実に言えることは、私たちの親の時代であれば、職場で上司が部下に対して普通にやっていた叱咤激励が、今の時代では職員をひどく傷つけてしまい、場合によってはうつ病にしてしまうことがあるということです。そのくらい、現代社会の職員は、メンタルな部分で打たれ弱くなっているんです。
 昔であれば、大勢の職員の面前で普通にやっていたお説教が、これからはこっそり個室に呼び出し、かつ、言葉を選びながら親切丁寧にお説教(?)をしなければならなくなるかもしれません。
 その意味で、油断してはならないのは、昔ならパワハラとは呼べないようなものまで、これからは裁判所もパワハラだと評価する可能性があるということです。

 いやはや…。本当に企業経営にとって難しい時代になってきました。私も法律事務所の経営者として多くの職員をあずかっている立場として、単にクライアントの問題としてだけではなく、自分の問題でもあることを痛感します。私にとっても頭痛のタネです。