先日、新書からでている『英語公用語論』という本を読みまして、ボクは賛成でも反対でもない、どっちでもよいという立場なんですけど、もし日本で英語が公用語化されたら、おもしろいことが起こるかも、なんて考えてしまいました。

 英語がボクらの言語になって、本当にみんな上手くなったら、日本人にしか通じない英語表現がたくさん出てくるのではないかと思っています。というのは、言葉はそれ自体が文化だからです。

 例えば、「あいつは、すみに置けない」って英語でなんて表現します?

 ボクも実はなんて表現するのか知らないんですけど、あえて訳せと言われたら、

 He is something.

と訳します。ちなみに、He is nothing. と言えば、「あいつは、大したヤツじゃない」という意味になりますけど、something と表現することで、nothing ではない、でも、He is great. と言うほど褒める材料も見あたらない、いずれにしても無視はできない存在だ、というニュアンスが出ます。ちょうど、「すみに置けない」というニュアンスに近くなると思うんです。

 でも、英語がボクらの言語になったら、”すみに置けない”を直訳して、

 He cannot be placed at the corner.

という表現でもOkだと思います。

 この表現が「間違った英語」とされるのは、英語が外国語だからです。でも、ボクらの言語になったら、こんな表現も”あり”です。欧米人がどう表現しようと、ボクらはこう表現したいんだから…。

 ちなみに、娼婦は英語で prostitute ですが(スラングだとbitchです)、知人のアメリカ人に、

 「日本語で娼婦は、 spring-selling woman って表現するんだぜ。」って教えてあげたら、そのアメリカ人

 Sounds cool!だってさ…(この場合のcoolは”冷たい”ではなくて、”カッコいい”です)。

 どう考えたって、prostituteよりもspring-selling womanのほうが文学的ですよねえ(女性の皆さん、ごめんなさい)。

 ちなみに、もし日本で英語が公用語化されたら、spring-selling womanも正しい英語に昇格します。