男女の性的関係において、女は”オブジェ”(客体)だと言ったのはサルトルです。

 サルトルは男尊女卑ではありませんから、社会現象の事実としてそう述べただけだと思います。

 「痴漢は女性の敵だ!」ということは、女性だけではなく男性も認めるところです。

 しかし、もし男が電車の中で女に痴漢されたら、世間はどれだけ同情してくれるでしょうか…。それどころか、もしもその痴漢が美人だったら、周囲の男たちから羨ましがられるのが関の山。そうなんです。男のカラダなんてどうでもいいんです。

 なぜ男と女では、こうもカラダの価値が違うのか?

 その理由について、サルトルは、セックスにおいて、男は主体として、女は客体として関わっているからだ、と説明しています。男がやるのであって、女はやられる対象(オブジェ)になっているわけです。

 実は、女性もこのことをよく知っていて、男性以上に自分のスタイルを気にします。性的オブジェとしての女磨きに余念がありません。女のカラダに価値があることを熟知しているのです。

 しかし、ここで興味深い逆転現象が起こります。

 日頃からオブジェとしての自分を磨いておきながら、多くの女性は「ワタシのカラダが目当てだったのね!」などといって怒り出す。つまり、オブジェとしての価値を重々承知しておきながら、客体ではなく”主体”としての自分を取り戻したいと考えているわけです。

 男はこの逆で、もしも女が男のカラダを目当てにしていたなんて話になると、むしろ男としての自信を取り戻し、「オレもまんざらじゃないなあ」などと嬉しい気分になってしまいます。性的には主体として関わっているのに、オブジェとしての魅力も評価して欲しい、などと考えてしまうわけです。

 まあ、要するに隣の芝生は青く見えるんですね。

 もしかすると、この行き着く先は、男がセックスのオブジェとなり、女が主体に取って代わるような時代到来、なんてことになるかもしれませんよ(笑)。

 バリ島あたりでアンニューイなビーチ・ボーイを買いまくる女、そして亀頭増大手術を受ける男…。

 すでにその徴候は出始めています(笑)。