弁護士 金﨑 浩之 

 三鷹ストーカー殺人事件の背景が少しずつ分かってきました。

 たまたま、うちの弁護士がこの事件のコメントを求められてテレビ出演しました。
 その弁護士から聴いた情報です。

 今回の事件の犯人は、被害者のフアンではなく、交際関係にあった元・恋人だそうです。
 フェイス・ブックで知り合い、東京(被害者)と京都(犯人)間で遠距離恋愛をしていたとか。

 そして、別れ話のもつれから、犯人が上京し本件犯行に及んだということでした。

 しかも、被害者が自宅に戻るや否や事件に巻き込まれたのは、何とそのストーカーの犯人は、被害者の自宅に忍び込み、クローゼットに隠れていたそうです!
 自宅の窓が施錠されていなかったために忍び込めたそうです。

 このような点が指摘され、今回の事件に関しては、警察としても防ぎようがなかったのではないか、という意見も一部にはあるようです。

 しかし、そのような本件の特殊事情は、警察の免罪符にはなりえません。

 確かに、仮に本件で警察官が殺人事件への発展の危険性を予見し、身辺警備に当たったとしても、結果的に被害者は殺害されたかもしれません。

 しかし、警察がそれを正当化できるのは、警察がやるべきことをやった上での話です。

 被害者の女性が「助けて~」と大声で叫んだとき、警察官は付近にいたのでしょうか?

 いや、いませんでした。

 血まみれになって路上に飛び出してきた彼女を発見したのは近所の人です。

 このとき、付近に警察官がいたら、彼女の悲鳴が聞こえた時点で救助に向かい、もしかすると助けられたかもしれません。

 もちろん助けられなかったかもしれません。

 重要なことは、100%殺人事件を防止できたか否かではなく、警察としてやるべきことをやったかどうかです。

 どんな凶悪事件でも、その犯罪を100%防止することは不可能です。

 そんなことをしようと思ったら、国民一人一人にボディー・ガードをつけないといけない。
 そんなことをボクは求めているわけではありません。

 警察のマン・パワーにも限りがある。そんなことは、ボクだって百も承知です。

 でも、この手の事件が起こる度に思うのは、ストーカー事件に対する警察の認識の甘さです。
 そして、警察が甘い認識をしている時の対応の遅さです。
 これは、ストーカーの事件に限らず、ボクが弁護士として、被害者の告訴状の受理を警察にお願いしたときにいつも感じることです。

 今回の事件の特殊性がクローズ・アップされ、問題の本質が隠れることのないように願います。