久しぶりに、吉川英治の「三国志」を読み返しました。

 一般に、三国志というと、「三国志演義」が有名ですが、あれは劉備が主人公ですよね。
 劉備というと、美談がいくつもありますよね。
 例えば、関羽、張飛と義兄弟の契りを結んだ「桃源の誓い」とか、諸葛孔明を召し抱えるために、3度も足を運んだ「三顧の礼」とか…。

 これに対して、曹操は悪役のイメージです。何と言っても、彼は「乱世の姦雄」ですから。

 でも、日本人で曹操のフアンはけっこう多いと思います。日本の戦国時代に例えると、織田信長をイメージさせますから。

 でも、ボクが曹操を評価するのは別の理由です。曹操はかなり誤解されている人物だと思います。

 実は、三国志のメインキャストである魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権の中で、皇帝になっていないのは曹操だけです。
 曹操は、後漢最後の皇帝である献帝を担ぎましたが、自らは皇帝になっていません。彼はあくまでも魏王にとどまっています。では、まだ機が熟していなかったからなのか…。
 それも違うと思います。なぜなら、曹操が死んですぐ、後継者である息子の曹ひは献帝から禅譲を受けて皇帝になっているからです。
 曹操は、「位人臣を極めた」として、魏王で満足したんです。魏王であるということは、まだ後漢の皇帝の家臣です。これは後漢に対して忠義があったことを意味します。
 ところが、息子の曹ひは、いわば新人類です。後漢に対する忠義などありません。「後漢の献帝なんて、ただのお飾りで実権なんかねえじゃんかよ。なんであいつが皇帝なんだあ。」ということで、自分が皇帝になったわけです。
 そうしたら、蜀の劉備も、呉の孫権も次々と皇帝を名乗りだした。

 こうしてみると、乱世の姦雄とうたわれた曹操も、この一線は乗り越えられなかったわけですから、けっこう「いい人」だったわけです(笑)。

 ここでやっぱり感心するのは、後漢の儒教政策がかなり成功していることです。パワー・ポリティクスという観点では、後漢の時代はすでに終わっています。でも、誰も後漢を滅ぼそうとはしない。曹操ほどの人物でも後漢を滅ぼす気になれなかったわけですから…。

 やっぱり三国志はおもしろいなあ。