久しぶりに、カミュの『異邦人』を読み返しました。

 これで、たぶん4~5回目になると思います。

 どうして何度も読み返すのかというと、

1 おもしろいから
2 薄いから(120ページちょっとしかありません)

 正直、大した理由じゃないですね。



 さて、一般的には、『異邦人』という作品は、通常の論理的な一貫性を欠いたムルソーという男を主人公に、不条理の認識を追求したカミュの代表作であると言われてます。

 ムルソーのどこが不条理なのかというと、
1 母親が死んだ翌日に海水浴に出かけ、ガールフレンドと情事を楽しみ、喜劇映画を見に行って笑いころげる。
2 友人の女性トラブルに巻き込まれて殺人事件を犯すが、殺人の動機について、「太陽のせい」と答える。
3 自己に下された死刑判決に対して、自分は幸福であると確信し、処刑当日に大勢の見物人が集まって、憎悪の叫びをあげて迎えてくれることを望む。

 しかし、『異邦人』をちゃんと読むと、一般的な解説には少々疑問があります。

 というのは、ボクにはムルソーという男の思考や行動が、そんなに”不条理”だとは思えなかったからです。

 まず、ムルソーが母親の死の翌日に女性と関係を結んだ点ですが、そもそも男には、弱気になった時や落ち込んでいるときに女を抱きたくなるという習性があります。カミュだったら、そのくらいの男の心情の機微くらいわかっているでしょう。

 また、殺人事件についても、そもそもの発端は、友人があるアラビア人の男に刃物で刺された、そのアラビア人と浜辺で偶然出会ってしまったわけです。もちろん、ムルソーは、その男が懐に刃物を隠し持っていることを知っています。正当防衛とまではいわないまでも、そのような状況下で拳銃の引き金をひいている…。しかも、ムルソーを弁護すれば、そもそも彼が拳銃を所持していた経緯は、刺された友人が報復のために使用する危険があったため、友人からその拳銃を取り上げている点です。
 彼は法廷で殺人動機を「太陽のせい」だと説明していますが、これは拳銃の引き金をひこうとしたとき、太陽が照りつけた、その記憶が鮮明に残っていて、うまく動機を説明できなかった彼は、とっさに「太陽のせい」だと答えてしまった…。殺人の瞬間の強烈な印象をそのまま語ってしまっているんです。この当たりの彼の心情は、この本をちゃんと読むと伝わってきます。むしろ、ムルソーという男の特徴を説明するとすれば、「自分の感情をちゃんと説明できない男」ということになるでしょう。この男は、全てにおいて、自分自身のこともまるで他人事のように認識しています。

 さらに、自己の死刑判決に対して、「自己の幸福を確信し、処刑の見物人の憎悪の叫びを聴きたい」なんて一見クレージーですが、彼が拘置所の中で特赦の可能性についてけっこう悩んでいる描写が出てきます。むしろ、死刑という現実から逃げられないと分かった彼の、それを受け入れるための心情を正当化するために、多くの見物人が憎悪の叫びをあげることを望むしかないという、いわば追い詰められた心理を表現しているんだと思います。だいたい、これから死刑にされる人間が正気でいられるはずないので、この点の”不条理”を問題にしても仕方がないと思います。


 むしろ、『異邦人』を読んでいてひしひしと伝わってくるのは、ムルソーの不条理ではなくて、彼を取り巻く社会の不条理です。
 まず、裁判では、検察官によって、
 母親の死の翌日に女と関係を結び、喜劇映画を見に行く神経
          ↓
 冷酷な人物である
          ↓
 このような冷酷さによって、大した動機もなく(動機は太陽)殺人に及んでいる

というストーリーが組み立てられていきます。
 その結果、犯行の経緯よりも、ムルソーが母親の死の翌日に情事にふけったことや、喜劇映画を見に行ったことが中心的な争点にすりかえられていきます。殺害されたアラビア人の男とのこれまでのいきさつはほとんど無視。アラビア人の殺害は、偶然ではなくて、計画的にすすめられた、海辺に行ったのも、そのアラビア人を捜すためだ、という物語が検察官によって作られていくんです。
 そして、最後は”死刑判決”。こんな目に遭遇すれば、だれだって驚愕します。
 ところが、ムルソーは、まるで他人の事件を裁判で傍聴しているかのような心境に陥っています。

 もちろん、これは実話じゃありませんけど、ここまで不条理な世の中に囲まれたら、不条理をもって応えるしか、ムルソー的には、自分の運命を正当化する方法がない。

 そして、この小説の中で描かれている世の中の不条理は、現実の世の中でも、時折、垣間見えると思います。ところで、


 ”太陽のせい”

 郷ひろみの歌にも似たような歌詞が出てきますが、これ、そんなに不条理でもない…。

 「魔が差す」という言葉を文学的に表現するならば、「太陽のせい」となりますので。