さいたま地裁平成16年3月24日(原告勝訴事案)

 患者は、平成12年4月頃、右顎下部にしこりがあることを訴え、診療所で診察を受けた。

 患者は、平成12年7月10日以降、被告病院において治療を受けることになった。

 平成12年8月23日、右顎下の腫瘍の摘出手術が実施され、摘出された腫瘍は病理検査に提出された。同月29日、患者は、被告病院を退院した。

 平成12年9月7日、病理検査の結果、摘出された腫瘍は滑膜肉腫であることが判明した。

 被告病院は、治療法として、硫酸ビンクリスチン、アクチノマイシンD、シクロフォスファミドの三種類の抗がん剤を組み合わせて用いるVAC療法を選択した。

 平成12年9月27日、患者に対し、硫酸ビンクリスチンの連日投与が開始された。患者は、同月28日から、食欲低下、顎や顔の痛み、喉のひりひり感、舌の腫れ等を訴え始めた、さらに日を追うごとに、発熱、吐き気、血小板及び白血球の減少による止血機能・免疫機能の低下、強度の全身倦怠感、歩行困難等の症状が出現した。

 平成12年10月3日、硫酸ビンクリスチンの投与が中止された。

 平成12年10月4日、患者の体温は39.8度まで上昇し、食事が摂れなくなり、呼吸が困難となった。腸管麻痺による腹痛及び排便不能、排尿困難が出現し、同月6日には自力呼吸が困難になり、人工透析が試みられたところ、心臓が一時停止するまでに至った。同日午後5時ころ、患者のカルテに添付されたプロトコールから、患者に対する抗癌剤の投与計画において、1週を1日と誤っていることが発見された。

 その後、救命活動が継続されたが、平成12年10月7日、患者は死亡した(患者は昭和58年11月13日生まれ)。

原告が主張する主な過失は、
①「VAC療法を採用した過失」、
②「プロトコールを精読せず、硫酸ビンクリスチンの添付文書も読まなかった過失、訴外松子に対し、硫酸ビンクリスチンを過剰に誤投与した過失、及び、副作用を看過して救命治療を遅滞した上不十分にしか行わなかった過失」、 の2点である。

①の過失については、裁判所は、以下の通り過失を否定した

「滑膜肉腫については、化学療法自体の必要性・有効性を否定するものが存在すること、本件で訴外松子の滑膜肉腫の治療法として採用されたVAC療法は、そのプロトコールがアメリカの横紋筋肉腫の法療方法として確立されたものであり、滑膜肉腫に対しては必ずしも治療法として一般的と認められているわけではないこと、原告らの依頼に基づき本件について私的鑑定を行った訴外並木恒夫医師及び同福島雅典医師は、いずれも、本件において化学療法ないしVAC療法の適応はないとしていることは、前記のとおりである。
しかしながら、他方、本件においては、全身に存在する可能性のある転移巣を排除するための補助療法を行う必要があったものであるところ、化学療法は、悪性腫瘍に対する補助療法として、一応一般的に承認されているものであること、滑膜肉腫に対する治療方法は、未だ確立していないのが現状であり、本件において、VAC療法と称して投与が計画された薬剤による治療が行われた例も存在すること、軟部悪性腫瘍相互間で、化学療法の効果が同程度と考えることは必ずしも誤りとは言いきれないとされていること、いずれの抗がん剤も、肉腫に対して一定の効果が認められている薬剤であることも、前記認定のとおりである。
これらを総合すると、滑膜肉腫に対してVAC療法を採用したこと自体は、誤りであるとは言い得ないから、訴外松子に対してVAC療法を選択したことが医学的に誤りであることを前提とする原告らの上記主張は、採用できない。」

 本件で行われたVAC療法は、

「滑膜肉腫に対しては必ずしも治療法として一般的と認められているわけではないこと」

 を前提に裁判所は判断している。
 しかしながら、

「滑膜肉腫に対する治療方法は、未だ確立していない」

 ことを重視して、VAC療法がそれなりに合理性のある治療方法であることから、①の点の過失を否定した。
 本件では、VAC療法を選択したこと自体にも否定的な見解が多かったにも関わらず、過失が否定されており、採用する化学療法の選択に関する医師の裁量は広いものと考えられる。
 一般論として、患者側弁護士が、採用された抗癌剤治療が誤りであることを主張するのは、容易ではないと思われる。

②の過失については、裁判所は以下の通り、過失を肯定した

「硫酸ビンクリスチンは、抗がん剤として、腫瘍細胞の増殖を抑える機能を有する反面、正常細胞に対する影響も大きく、使用に当たっては慎重な注意及び投与中も厳重な管理を要求される薬剤であったこと、被告C川は訴外松子の主治医であったが、滑膜肉腫についての研究をほとんどしていなかったことから、治療方針の決定を焦り、訴外D川医師から授けられた手がかりを唯一のよりどころとして、VAC療法を実施すれば良いと考え、図書室で探し出した文献にVAC療法のプロトコールがあるのを発見したので、その内容を精読・検討することなく、また、使用される抗がん剤の効能や危険性、副作用等について、薬剤の添付文書を読む等の調査研究をしなかった結果、十分な知識もないまま、同プロトコールに従って投薬を行えば足りると考えたが、投薬頻度が週単位で記載されているのにそれを日単位であると軽々に誤解して、投薬計画を作成し、九月二七日から一〇月三日に至るまで、訴外D田二江看護師の注意喚起を顧みることもなく、訴外松子に対し、硫酸ビンクリスチンの投与を継続したこと、訴外松子は、一〇月一日には歩行が困難となり、同二日には自力で起きあがれなくなるなど、重篤な神経障害を呈していたのに、副作用及びその対処の必要性について十分な知識を有していなかったために、通常の範囲内の副作用であろうと考えたのみで、何の対処もせず、投与を直ちに中止しなかったこと、一〇月三日または四日の時点では、可能性は小さいながらも、なお救命の可能性が残っていたのに、その投与を中止した後も、硫酸ビンクリスチンの細胞毒性により訴外松子に発現することが予想される全身状態の悪化、及びその管理の緊急かつ高度の必要性に考慮を払わず、一〇月三日に血小板輸血を行ったほかは、一〇月四日、濃流動食をチューブを通して流し込む処置をする等したのみで、自ら内科に対する応援依頼をしたのは、一〇月五日に訴外D川医師の指示を受けてからであったこと、同月三日以降、訴外松子の症状が急激に悪化していくのに、訴外松子の観察すら十分に行っていないこと、訴外松子が死亡するまで、救命救急センターへ救命治療の依頼を行っていないことが認められる。 そして、その結果、訴外松子に対して、硫酸ビンクリスチンが、一回当たりの最大投与量である二mgを七日間連続して投与されたことにより、訴外松子は、その細胞毒性により多臓器不全を発症して死に至ったものであることも、前記認定及び判断のとおりである。
以上によれば、被告C川は、訴外松子の主治医として、同女に対し、身体に対する侵襲の大きい抗がん剤を使用した治療を行うに当たり、その危険性に対する認識、及び、その際に要求される注意を著しく欠き、極めて安易に誤った治療計画を立案・実行したものであるから、原告らの主張する各過失が認められる。」