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第9 東京地裁平成18年3月2日

 平成13年6月21日、患者が体外授精一胚移植を受けたところ、同年7月21日、妊娠が確認された。同年7月26日以降、患者は継続的に被告病院に通院していたところ、平成14年2月13日、被告病院を受診した際、経膣分娩では胎児に致命的な危険が生じると判断されたため、同日、帝王切開を前提に被告病院に入院した。同月15日、帝王切開術が行われ、同日午後1時35分、終了した。同月16日、患者がトイレに行った際、容体が急変し、同日午後5時19分、呼吸停止及び心拍停止に陥った。同日午後6時、心エコー検査の結果、急性広範性肺塞栓症と診断され、治療が続けられたが、意識を回復することのないまま、同年4月9日午後11時23分、死亡した事案。

 原告は、帝王切開術後、肺血栓塞栓症予防のために、弾性ストッキングを着用させるか、又は間欠的空気圧迫法を実施すべき注意義務があったと主張した。
 ガイドライン策定前の医療事故であり、ガイドラインを医療水準とすることは以下の通り否定した。

 「平成16年に発表された「肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)予防ガイドライン」(乙B1)に指摘されたように、平成16年当時においても、「肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の予防に関してのわが国におけるエビデンスは極めて乏しく」、「現存する日本人に関するデータは未だランダム化された試験がほとんどなく、データの信頼性も自ずと低い」状況にあったものであり、ようやく、平成16年に、上記「ガイドラインを基本にして、各施設が各々の実情に応じた独自のマニュアルを作成して実践することが理想とされる」状況に至ったものと認めるのが相当である。」

 下の通り、被告病院の専門性を理由に、医療水準を高く設定することを示唆しており、この点は参考になる。

「被告病院は、都立病院の中でも、特に周産期の異常を専門的に取り扱うことに主眼を置いて、ハイリスク分娩や未熟児医療などの周産期医療の充実を図っている病院であることは前記認定のとおりであるから、その意味で、周産期医療の分野においては、高い水準の臨床医学が期待されていたことは否定できない。しかしながら、肺血栓塞栓症の予防を巡る前記認定の臨床医学の状況に照らせば、上記の点を考慮しても、なお、本件帝王切開術施術当時、弾性ストッキングの着用と間欠的空気圧迫法を採用することが、被告病院と類似の特性を備えた医療機関において、普及していたと認めることはできない。」

 本件では、注意義務違反を否定した。しかしながら、念のため下の通り、因果関係についての判断も行っている。

「「仮に、被告Y2が、Aに対して、本件帝王切開術後、弾性ストッキングを着用させるか、又は間欠的空気圧迫法を実施していたとしても、それによりAの肺血栓塞栓症の発症を防げたとまでは認められないので、争点(2)についての原告らの主張も、認めることができない。」

 そして、因果関係も否定されている。
 弾性ストッキングを着用しなかった点については、医療機関側の注意義務違反を認めた裁判例もあるが(大阪地裁平成21年9月29日)、当該事案においても、死亡との因果関係は否定されており、僅かに死亡を回避し得た相当程度の可能性の侵害を認めているに過ぎない。
 弾性ストッキングを着用しなかった過失と、死亡との因果関係を認めさせるためのハードルは高いと思われる。

第10 東京地裁平成17年5月19日

 平成6年10月21日、患者に気管支喘息の発作があったため、被告病院の救急夜間外来で診療を受け、そのまま入院したところ、同年11月1日午後8時27分、肺血栓塞栓症で死亡した事案。

 医療事故の発生日がかなり古く、基準となる医療水準も現在と比べるとかなり低いものになると思われる。以下の通り述べ、過失・因果関係双方について否定している。
 平成16年のガイドライン策定、平成20年のガイドライン改定によって医療水準は大きく変化するものと思われ、医療事故の起きた日は重要なメルクマールとなる。

「病院の薬物投与、吸入麻酔療法等によって、10月29日から31日にかけて、入院後悪化していった症状が比較的軽減されるに至ったものであり、それまでの治療行為に過失を見いだすことはできず、その後、11月1日に至り、肺血栓塞栓症が突如として発生したものであり、これを担当医が予見して死亡の結果を回避することができたということはできず、担当医のAに対する治療行為に過失があると認めることはできない。」

「担当医において、Aの死因となった肺血栓塞栓症の発生を予見し、回避しえたのかについて検討するに、まず、本件において、心停止が発生した11月1日より以前に、肺血栓塞栓症を疑わせる徴候があったかについて、前記認定事実によれば、10月29日に心肥大軽減傾向があることから、その前に心肥大傾向があったことがうかがえるものの、その内容が肺血栓塞栓症を疑わせるものであったとは認められず、その他、Aに肺血栓塞栓症を疑わせる徴候があったとは認められない。」

「そうすると、Aが心停止に陥った11月1日において初めて肺血栓塞栓症を疑うべき徴候が現れたというべきところ、この時点で担当医らが血栓溶解療法を施していれば、Aの死亡が回避された可能性があったかについては、前記鑑定意見書(乙40)において、血栓溶解療法実施により、肺血栓塞栓症による死亡が回避された可能性はないとはいい切れないが、11月1日の臨床経過が余りにも短時間に急激な転帰をたどっており、改善傾向にあった喘息発作の再燃と血圧、心拍数の急激な低下、皮下気腫の増悪等により、救命は極めて困難であったと考えられるとしているところであり、この見解を覆すに足りる証拠はなく、担当医が当該時点において血栓溶解療法を施さなかったことについて過失があったと認めることはできない。」