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第7 京都地裁平成19年11月13日

 平成15年4月13日、精神的に不安定であった患者が、精神科病院である被告病院に医療保護入院したところ、同月25日午前6時48分、心肺停止となり、別病院に搬送されたが、脳死状態となり、同年5月1日、肺血栓塞栓症に起因する出血性脳梗塞により死亡した事案。

 「肺血栓塞栓症の自覚症状としては呼吸困難、胸痛が多く、そのいずれかが認められる頻度は80%という報告がある。」

 他の裁判例でも認められるところであるが、「呼吸困難、胸痛の有無」は、肺血栓塞栓症の医療過誤においては重大なメルクマールとなる。

 本件は平成15年の医療事故についての裁判例であり、ガイドラインは医療水準とはならない。また、精神科領域の医師に要求される医療水準は相対的に低くなる。

 「後に出版された「肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症予防ガイドライン」におけるリスク因子分類(乙B6,8頁表2)を見ても,精神科入院患者は最初から「予防対象」に入っていない。」

 原告らの本件当時,被告病院の医師を含む精神科医療の領域の医師ないし看護師においても,長期臥床と脱水などが原因となって肺血栓症が発症し得ることの知見ないし予見を持つべき注意義務があった旨の主張は理由がない。」

 本件では患者に対する身体拘束が行われているところ、身体拘束(≒長期臥床)によって肺血栓塞栓症のリスクは高まる。そのため、身体拘束の必要性も争点となっているが、裁判所は以下の通り必要性を肯定した。

「寝ている間の午後10時から行うこととしたが,その判断は医師の裁量の範囲内のものであって,法的に問題となるものではない。そこで,Cに対する夜間の点滴の際の身体拘束であるが,Cは,本件入院直前のK病院で入院していた際,点滴及びバルーンカテーテルを自己抜去したことがあり,また,本件入院時の4月24日午前11時ころにも点滴を自己抜去したことがあったところ,以上の事実を踏まえると,Cに対して夜間点滴を行った場合,点滴の自己抜去をする可能性が想定されたこと,点滴の自己抜去は太い血管に貫通した針を無造作に引き抜くものであって,非常に危険な行為であること,D医師は,点滴の自己抜去を防止する意図でCに対する本件入院中の身体拘束を行ったことが推認される。以上の事実にCに対する身体拘束の程度(胴と両上肢は拘束されていたが,その拘束状態は緩やかな抑制状態であって,両下肢は自由であったこと〔乙A3〕)を総合すると,D医師がCに対して行った上記身体拘束は不必要であったと認めることはできず,かえって,必要であったことが推認される。」

 本件では、肺血栓塞栓症を発症した点の医療事故については請求が棄却されている。しかしながら、

「原告らは,看護師は,上記前提事実(6)で記載した精神科看護領域の看護業務基準を踏まえ,本件看護実践内容を行うべきところ,Cを担当していた看護師は,同内容を履行しなかったため,Cが無用な身体拘束を受け,また,人格権を侵害され,その結果,精神的苦痛を被った旨主張」

 し、裁判所はこの主張を認め、精神的損害100万円、弁護士費用10万円についての請求を一部認容している。その点で、興味深い裁判例である。

第8 東京地裁平成18年7月31日

 平成13年8月13日、患者が被告病院で子宮筋腫の診察を受け、平成14年5月28日、被告病院で子宮全摘出手術が予定された。同日午後1時25分、同手術が終了したところ、患者が急性肺血栓塞栓症を発症し、同日午後6時8分頃、突然呼吸が停止し、判決時においても、植物人間状態が続いていた事案。

 子宮全摘出手術時において、

 「急性肺血栓塞栓症の予防のため、術前の麻酔導入時からフロートロンDVT(以下、「フロートロン」という。)の装着による間歇的空気圧迫法が施行された」

 との事情がある。

 ガイドライン策定前の医療事故であるが、平成16年ガイドラインについても言及している。

「本ガイドラインは、作成当時で入手可能な限りの日本人のデータを収集して、それに基づいて策定したものであるが、現存する日本人に関するデータはいまだランダム化された試験がほとんどなく、データの信頼性も自ずと低いものとなるため、欧米のガイドラインのように十分なエビデンスに基づいたものではなく、静脈血栓塞栓症の予防を考慮する際の1つの指針に過ぎないことを十分念頭に置く必要がある。
〈2〉本ガイドラインは、主に日本人の成人(18歳以上)の入院患者を対象とした静脈血栓塞栓症の一次予防を目的に策定されており、既に静脈血栓塞栓症が認められる場合の二次予防に関しては言及していない。」

ガイドライン公表後の事故であったとしても、ガイドラインの記載そのままが医療水準とはならないことを示唆したものと思われる。

「本件手術を行う時点において、原告につき以下のような検査結果及び症状等が明らかとなっていた(各項に掲げる証拠)。
ア 心電図所見(乙A4、7ないし9、弁論の全趣旨)
本件心電図4(平成14年5月1日)ではV1ないしV4の陰性T波が出現し、本件心電図1ないし3ではV1ないしV3の陰性T波が出現していた。
イ 心エコー所見(乙A6、13)
平成14年5月23日の心エコー検査では、右室拡大などの右心負荷の所見も認められず、ほぼ正常と判定された。なお、この際、微軽度の肺動脈弁閉鎖不全が認められた。
ウ 心筋シンチ所見(乙A5、13)
同月13日の心筋シンチグラム検査において、前壁中隔領域に虚血の所見が認められた。
エ 症状(乙A13)
原告は、被告病院における同月8日の問診に対し、〈1〉胸痛はない、〈2〉年に2、3回、夜中の2時から3時ころ、胸が息苦しくなって覚醒し、30分くらいで治るが、寝たままだと苦しい、〈3〉階段でハアハアすると答えた。」

 心電図検査について、「陰性T波が出現しているからといって、それだけで直ちに急性肺血栓塞栓症の発症を認めることはできない」、としており、心電図検査の所見のみで過失を認めるのは容易でないものと思われる。 「急性肺血栓塞栓症では、大部分の症例で比較的程度の重い呼吸困難が生じ」、とした上で、原告の呼吸困難は重いものではなかったとして、過失を否定している。