(1)医療水準と専門分野

 前回の記事で述べたとおり、医師には、患者から診療を求められたときには、原則としてこれに応じなければならない義務、つまり応招義務(医師法19条1項)があります。

 つまり、自らの専門分野以外の治療を求められた場合であっても医師は原則として診療を拒むことはできません。

 では、医師が自分の専門分野外の診療を行う場合、当該医師の注意義務は軽減されるのでしょうか?

 医療水準論をテーマにした記事を書いたときに紹介しました平成7年6月9日判時1537号3頁の判例によりますと、医療水準の決定にあたっては、

「当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、右の事情を捨象して、すべての医療機関について診療契約に基づき要求される医療水準を一律に解するのは相当でない。そして、新規の治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準であるというべきである。」

 と考えられています。

 この判例は、医療水準というものは、どのような場面においても一律に決定されるものではなく、当該事案における個別具体的な事情を考慮したうえで、当該医療機関に対し期待し得るべき水準こそが医療水準となると考えているといえます。

 この判決の考え方からすると、当該医師がどの分野を専門分野としているかにより、当該医師に期待される医学的知見や技術等が異なりますので、当該医師の専門分野は当該医師に課せられた医療水準に影響をもたらすと考えられます。

 しかしながら、当該医師が専門外の治療を行う場合であっても、単純に医療水準の程度が低減するわけではないといえます。そのように考えると、医療を必要とする者が適切な医療を受けられることを目的として医師に課せられた応招義務が実質的に骨抜きになってしまう可能性があるからです。

 ですので、あくまで当該医師が当該診療や医療を施す際に当該医師にどれだけの医学的知見や医療技術等を有していることを期待するのが合理的であるのかという観点から、個別具体的に医療水準が決定されるといえます。

(2)自らが手に負えない症状に直面した場合の転送義務

 自分の専門分野からでは手に負えないような患者に接したときは、医師は転医義務を負うことになります。

 これを、転送義務といい、根拠としては医師法1条の4、健康保険法72条をうけた保険医療機関及び保健医療養担当規則16条などが挙げられます。

 前記平成7年判例も、「当該医療機関が予算上の制約等の事情によりその実施のための技術・設備等を有しない場合には、右医療機関は、これを有する他の医療機関に転医をさせるなど適切な措置を採るべき義務がある。」と判示しています。

 では、具体的にどのような場合に転医義務が生じるのでしょうか?

 開業医に関する転送義務について判示した判例(平成15年11月11日判時1845号63頁)を見てみることにしましょう。

事案の概要

 Xは小学六年生当時、頭痛や発熱等を訴え、Y医師が開設する内科・小児科を診療科目とする本件医院に通院した。

 Xは、通院期間中の深夜に大量の嘔吐をし、その後も症状がおさまらなくなり、翌朝8時30分ころY医師の診療を受け700ccの点滴を受けて帰宅した。

 しかし、帰宅後も嘔吐が続くなど症状がおさまらなかったため、同日16時ころ、再度、本件医院を訪れY医師の診療を受け700ccの点滴を受けたがXの嘔吐はおさまらず、Xは胃液を吐くなどし、さらに点滴中に軽度の意識障害を疑わせる言動があった。

 これに不安を覚えたXの母親がY医師にXの診察を求めたがY医師は外来の診察中であったためすぐにはXを診察しなかった。Xは、点滴が終了した同日20時30分ころ、Y医師の診察を受けたが、Xは椅子に座ることができない状態であり、診察台に横たわっている状態であった。

 Xは同日21時ころ、母親に背負われて帰宅したが、帰宅後も嘔吐や発熱が収まらず、翌朝、意識混濁状態のままZ病院に入院した。

 Z病院では、Xの頭部CT検査等が行われた結果、脳浮腫を認め、急性脳症の可能性があるとして脳減圧等の目的で投薬を行ったがXの意識は戻らなかった。

 結果として、Xには重い脳障害の後遺症が残ることになった(脳原性運動機能障害が残り、精神発育年齢2歳前後で言語能力もない状態である)。

裁判所の判断

 最高裁は、事案の概要で示した診療経過を事実であると認定したうえで、

「上告人が,その病名は特定できないまでも,本件医院では検査及び治療の面で適切に対処することができない,急性脳症等を含む何らかの重大で緊急性のある病気にかかっている可能性が高いことをも認識することができたものとみるべきである。
 上記のとおり,この重大で緊急性のある病気のうちには,その予後が一般に重篤で極めて不良であって,予後の良否が早期治療に左右される急性脳症等が含まれること等にかんがみると,被上告人は,上記の事実関係の下においては,本件診療中,点滴を開始したものの,上告人のおう吐の症状が治まらず,上告人に軽度の意識障害等を疑わせる言動があり,これに不安を覚えた母親から診察を求められた時点で,直ちに上告人を診断した上で,上告人の上記一連の症状からうかがわれる急性脳症等を含む重大で緊急性のある病気に対しても適切に対処し得る,高度な医療機器による精密検査及び入院加療等が可能な医療機関へ上告人を転送し,適切な治療を受けさせるべき義務があったものというべきであり,被上告人には,これを怠った過失があるといわざるを得ない。」

 と判示しました。

 つまり、医師が病名を具体的に特定できない段階であっても、自らが対応できないような重大かつ緊急性のある病気に罹患している可能性が高いと認識した場合には、当該症状に適切に対応できる高度な医療を施すことのできる医療機関へ転送する義務を負うとの判断を示しました。

(3)私見

 法が一般的な応招義務を認め、医療を必要とする者に適切な医療が提供されるべきことが求められていることは、社会が期待すべき合理的な要請であるということに疑いはありません。そうすると、上記平成15年判例の判示は妥当であると考えられます。

 ただし、仮に転送していても結果が生じていたであろう場合には、因果関係が否定され医師の責任を問うことはできないということを忘れてはなりません。
 因果関係については、医療訴訟においては立証困難性から特殊な問題が生じますが、ここでは割愛いたします。

弁護士 藤田 大輔