先天性風疹症候群 裁判例(東京地判平成4年7月8日)

風疹の病理

 風疹は、ウイルス感染症のひとつ。
 妊婦が風疹ウイルスに罹患すると、胎芽又は胎盤から胎児に感染して胎児にウイルス血症を起こす。
 特に妊娠初期の8~12週間に罹患した場合には、持続感染となって胎児の細胞の増殖を抑制。
 新生児期の症状としては低出生体重、血小板減少性紫斑病、肝脾腫、肝炎、溶血性貧血、骨病変、泉門膨隆等の症状。
 永久的障害としては白内障、心疾患(動脈菅開存、肺動脈狭窄など)、難聴、風疹網膜症、発育障害、精神運動発達遅延等。
 幼児期以後の遅発性障害としては糖尿病など。
 のいわゆる先天性風疹症候群がかなりの高率で単独または合併して現れることが多い。
 妊婦が風疹に罹患した場合には、流産、早産又は死産の例も多い。
 風疹に罹患した後にウイルス血症を完全に防ぐ方法はないため、人工妊娠中絶の方法による以外には先天性風疹症候群児の出生を予防する途はない。

症状・検査

 感染期間は発疹発症の前後3日ないし1週間、潜伏期間は10日~21日。
 風疹に罹患したときには、特有の発疹、リンパ節の腫張、軽微の発熱等の症状が見られることが多い。
 しかし不顕性の場合もあるため、風疹罹患の有無の診断のためには、これらの臨床症状や感染源の追及等とともに、患者の血清中から産出される抗体を赤血球凝集抑制試験法を用いて測定することによって感染の有無を明らかにするHI検査が簡易でかつ精度の高い検査法として一般的。
 HI検査によれば、免疫のない者が風疹に罹患した場合、潜伏期間には抗体は現れないが、発病と同時に抗体価が上昇を始めて、発病後約5日で8を越え、発病後2週間~4週間で512ないし1024まで上昇して最高値に達し、その後は徐々に低下して罹患後3か月以降から数年の間に8ないし128の値に落ち着くのが通常のパターン。

 *なお、HI抗体価は、血清の希釈が8倍から2倍ずつの段階で行われるので、8未満・8・16・32・64というように8を基礎としそれぞれ倍ずつ増加した値を示すことになる。

 HI検査は、被験者の検査結果がウイルス感染によって起きる抗体反応のこれらの上昇・下降のパターンに合致しているかどうかを重要な要素として、風疹罹患の有無を判断。
 妊婦が風疹に罹患した場合には、罹患の時期によって先天性異常児出生の危険性が異なる罹患と妊娠との時期が極めて重要な意味を持つ。
 よって、妊婦について風疹罹患の有無をHI検査によって検査する場合には、感染機会後2週間以内に1回目の検査を行い、最低2週間の期間をおいて2回目の検査を行って、それぞれの抗体価を比較するのが一般的。
 この場合においても、測定過程での物理的又は主観的な過誤、検査機関又は検査試薬の違いに由来する誤差等を考慮して、4倍未満の抗体価の変化は必ずしも有意的ではないものとされ、紛らわしい場合には3回目の検査を実施し、あるいは、抗体価の変化を観るためには、できるだけ同一の条件を確保するため、1回目の血清と2回目の血清(ペア血清)を同時に測定する方法によるべきとされている。

注意義務

 妊婦が妊娠初期に風疹に罹患した場合にはかなりの高率で先天性異常児が出生する危険性があるものであってみれば、その妊婦又は夫にとっては、出生する子に異常が生じるかどうかは切実かつ深刻な関心事。
 妊娠時と近接した時期に風疹に罹患したものとの疑いを持つ妊婦から風疹罹患の有無について診断を求められた産婦人科医としては、適切な方法を用いて能う限り妊婦の風疹罹患の有無及びその時期を究明して、その結果を妊婦らに報告するとともに、風疹罹患による先天性異常児の出生の危険性について説明する義務を負う。
 先天性風疹症候群児の出生を予防する途はなく、産婦人科医のなし得ることは単に診断の域を超えるものではないとはいえ、生じ得べき先天性風疹症候群の重篤さに照らすと、その判断には最大限の慎重さが要求される。

本件

・原告花子は、被告医院での初診当時から、被告に対して、昭和62年1月13日頃に同居の長男一郎が風疹に罹患したことを告げ、感染の可能性のある時期及び機会を明らかにして、風疹罹患の有無の診断を求めた。
・同年2月12日には腹部、首筋等を中心とした発疹の症状を訴えて被告医院に赴いている。

↓この場合

 被告の診断義務は、単に妊婦に対する一般的な健康診断の実施に尽きるものではなく、原告花子が風疹に罹患しているかどうかを具体的に診断することにある。
 被告は、同年1月29日、同2月9日及び同月12日の3回にわたり、臨床症状の診察等とともに、HI検査を実施したが、これによっては風疹罹患の有無についての確定的な診断を下すことなく、同月19日に予定した4回目のHI検査の結果にまでこれを留保していたところ、たまたま原告花子が右同日に切迫流産の治療のために被告医院に入院することになって、その予防のための処置に追われるうち、予定した4回目のHI検査を実施しないままとなってしまった。
 原告花子も、被告の右のような対応から自分が風疹に罹患しているものとは考えないまま、同年10月13日に春子を出産。
 風疹ウイルスの感染によって起きる抗体価の上昇・下降の一般的なパターンに照らすと、被告が原告花子の入院時以降の然るべき時期に4回目のHl検査を実施しておれば、原告花子が風疹に罹患していることを容易に発見することができたであろうことも、明らか。

損害賠償義務の範囲

 生まれる子に異常が生ずるかどうかについて切実な関心や利害関係を持つ子の親として、重篤な先天性異常が生じる可能性があるとわかったとき、それが杞憂に過ぎないと知って不安から開放されることを願い、最悪の場合に備えて障害児の親として生きる決意と心の準備をし、ひいては、妊娠を継続して出産すべきがどうかの苦悩の選択をするべく、一刻も早くそのいずれであるかを知りたいと思うのが人情。  原告らが被告に求めたのも、このような自己決定の前提としての情報であり、債務不履行又は不法行為によってその前提が満たされず、自己決定の利益が侵害されたときには、法律上保護に値する利益が侵害されたものとして、慰謝料の対象になる。

 ↓しかし

 人工妊娠中絶の方法による以外には先天性風多症候群児の出生を予防する途はないが、優生保護法上も、先天性風疹症候、児の出生の可能性があることが当然に人工妊娠中絶を行うことができる事由とはされていないし、人工妊娠中絶と我が子の障害ある生とのいずれの途を選ぶかの判断は、あげて両親の高度な道徳観、倫理観にかかる事柄であって、その判断過程における一要素たるに過ぎない産婦人科医の診断の適否とは余りにも次元を異にすることであり、その間に法律上の意味における相当因果関係はない。
 また、先天性障害児を中絶することとそれを育て上げることとの間において財産上又は精神的苦痛の比較をして損害を論じることは、およそ法の世界を超えたもの。

 ↓したがって

 原告花子が風疹に罹患したのではないかを懸念し、出生ずる子に異常が生じるかどうかを案じて、被告にその診断を求めたものであるにもかかわらず、債務不履行又は注意義務違背によって、被告からこれについての的確な診断を受けることができず、一旦は先天性異常はないものと信じて苦悩から開放されながら、出産してみると春子に思いがけず重度の先天性風疹症候群の疾患があったという事態となり、先にみたような意味での自己決定の利益を侵害されたものというべき。

↓賠償金

 慰謝料原告らそれぞれにつき各四五〇万円
 弁護士費用のうち各四五万円

弁護士 池田実佐子