(1)医療水準とはなにか?

 医療過誤訴訟は、一般的にいえば不法行為(民法709条)で争われることが多いです。

 そして、民法上の不法行為責任を問うべき前提として、「故意」又は「過失」が必要となります。ここにいう「過失」とは、一番分かりやすい言葉でいうと、「具体的な注意義務に違反すること」をいいます。

 医師は、人の生命・身体に直接的に関わる業務に従事する者であることから、患者を危険から遠ざけるべき最善の注意を尽くすべき立場にあります。

 このような医師という立場の性質上、医師が診療にあたる場合、医師には高度の注意義務が要求されることになります。この、医師が負うべき高度の注意義務の判断基準を、「医療水準」といいます。

 この水準に満たない医療行為がなされた場合や、この水準に適合した医療行為がなされなかった場合、医師の過失が肯定されます。また、医師が負う転医義務の有無、説明義務の範囲についても、医療水準に基づいて判断されることになります。

 では、この医師が負うべき高度の注意義務基準としての医療水準とは、具体的にはどのような注意義務を意味するのでしょうか?

 この問題についてはさまざまな議論がありましたが、ここでは、裁判所がどのように考えてきたのかを見ていくことにしましょう。

(2)判例は医療水準をどのように考えてきたのか?

第一段階(医学か医療か?)

 医師の注意義務に関して一番初めに判断した判例は、東大梅毒輸血事件(最判昭和36年2月16日民集15巻2号244頁)です。

 同判決は、「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求される」と判事しました。つまり、医師に課せられた注意義務の判断基準として「危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務」が注意義務の基準と判示しました。

 しかし、診療を行う時点の医学の水準なのか医療の水準なのかについては解釈が一致していませんでした。

第二段階(医学的な判断は、諸条件を考慮するか?)

 その後、判例は、最判昭和57年7月20日判時1053-96(新小倉病院事件)や最判昭和57年3月30日判時1039-66(高山日赤事件)等により医師の注意義務の基準となるべき基準は、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」と考えるのが判例の確立した立場となりました。

 この段階で、東大梅毒輸血事件判決(最判昭和36年2月16日民集15巻2号244頁)の判示事項からは明らかにならなかった、「危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務」という基準の内容が明らかになりました。

 つまり、診療当時の医療水準ではなく診療当時の医学水準が医師に課せられた注意義務の水準になるとの立場が明らかになりました。

 しかし医療水準の内容を決する際の最大の問題である、当該医師又は医療機関の置かれている社会的な環境、経済的状況・地理的諸環境などを医療水準の判断要素として取り込むかどうかという点についての疑問が残りました。

第三段階(現時点の到達点)

 この点に答えた判例として、姫路日赤未熟児網膜症事件判決(平成7年6月9日;判時1537号3頁、判タ883号27頁)があります。同判決は、「知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は医療機関にとっての医療水準であるというべきである」と判示しました。

 この判例により、医療水準は全国の病院や医師にとって普遍の基準ではなく、その医療機関の性格(大学病院や大病院など情報収集能力に優れた病院か、小規模病院なのか個人で開業している病院なのか)や所在地域における医療環境(入手し得る情報の質や量、医療設備の充実度、他の医師との協力体制)などを考慮して法的評価に評価された「適切な水準」であることが明らかにされました。

 この判例は、医療水準を個別具体的にとらえる見解を採用するものであり、一般論として医師に要求される注意義務の程度を厳格に解釈した判例でも、緩和して解釈した判例でもないといえます。

 この判例の結論の背景にある考え方としては、当該医師が診療に当たる際に置かれている諸条件を前提にして、その条件下において健全な倫理感を有する医師であれば通常尽くすべき最善の注意とはどのようなものであるのか、という観点から注意義務違反の有無を判断する考え方であると思われます。

(3)いわゆる名医が医療ミスを犯した場合、医療水準は誰を基準にするのか?

 ここまでは、医療水準に関して裁判所がどのように考えてきたのかということを紹介しました。そして、現代における判例の考え方としては、当該医師が診療に当たる際に置かれている諸条件を考慮したうえで医師に課せられる注意義務を意味する、との見解を採用していることも紹介しました。

 では、当該疾病に対する治療に対する多くの治療実績、件数、評判を有するいわゆる名医が医療ミスを犯した場合、同様の環境に置かれた一般的な医師を基準とした医療水準が適用されるのか、名医とされる当該医師を基準として医療水準を考えるのか、どのように考えるべきなのでしょうか?

 この点について、参考になる裁判例として、東京高裁平成10年2月26日(判タ1016号192頁)があります。

 この裁判例の中では、医療水準論の他にも争点がありますが、医療水準論に関する争点に関し、職場の定期健康診断において撮影された胸部レントゲンフィルムの読影を担当する医師に課せられる注意義務の程度が争点になりました。

 裁判例は、「債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であって」、「定期健康診断におけるレントゲン読影医の注意義務の水準としては、これを行う一般臨床医の医療水準をもって判断せざるをえないというべきであり、このことは、被控訴人がレントゲン写真の読影につき豊富な経験を有していたとしても異ならない。」と判断しています。

 つまり、この裁判例は、レントゲン読影医に課せられた医療水準の判断に関しては、レントゲン読影につき豊富な経験を有するという属人的な要素は判断から除くという判示をしています。

 ただし、この裁判例は、職場の定期健康診断は、具体的な疾患を罹患しているとの疑いがある患者に対して行われる精密検査とは異なりレントゲンの読影医は大量のレントゲン写真を短時間に読影するものであるという診断態様の特殊性を考慮し、注意義務の程度にはおのずと限界がある旨をも判示していることから、果たして一般化してよいものか、という疑問が残ります。

 確かに、そもそも裁判所は医療水準を、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」と抽象的に位置付けています。

 また、名医であるがゆえに、一般の医師であれば責任を問われないような診療行為に対して責任を問われるならば、医師は実績を積み、名医と呼ばれる域まで研鑽を積むことに消極的になるおそれがあります。

 しかし、患者としては、当該医師が名医であるとの評判を聞きつけて当該医者に治療を頼んだような場合、当該医師であれば可能であるはずの技術が駆使されなかった場合や、当該医師であれば犯さないようなミスを犯した場合、期待を大きく裏切られる形になります。

 個人的には、実績のある医師であるという属人的要素が医療水準の考慮要素となるのかどうかというよりも、当該医師に課せられる具体的な注意義務の程度とは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準を基準としたうえで、当該医師の専門分野や実績などと診療環境・診療内容・診療態様との相関関係で相対的に決定されるものではないか思います。

弁護士 藤田 大輔