医師は、疾患の治療のための手術をする際、実施予定の手術の他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについても説明義務を負います。

 そして、その「他に選択可能な治療方法」が、医療水準として確立した療法である場合は、患者の自己決定権の尊重からは、その確立した療法についても説明義務を負うことは当然といえます。このことは、今回ご紹介する判例でも明言されています。

 それでは、「他に選択可能な治療方法」が医療水準として未確立である場合はどうでしょうか。実施予定の療法が医療水準として確立している以上、他の未確立の療法を患者に選択肢として提供する必要性はないようにも思えます。

 この点、判例は、限定的にではありますが、未確立の療法であっても説明義務を負う場合があることを認めています。今回は、この判例(最判H17・11・27)をご紹介します。

 本件では、乳がんの患者に、当時医療水準上未確立であった「乳房温存療法」について、説明義務があったか否かが争われました。

 当時欧米では、乳房温存療法は乳房切除術に比べて、乳がんの再発率、生存率の点でむしろ優れていることが確認されていましたが、日本では、乳房温存療法の普及が比較的遅れており、乳房切除術が主流でした。

 なお、平成元年には、日本でも、乳房温存療法について安全性、有効性を立証し、その統一的基準を作成するために、厚生省の助成により、「乳がんの乳房温存療法の検討」班が設置され、「乳房温存療法実施要綱」が暫定的に策定され、臨床的研究が開始されていました。

 しかし、本件手術当時、同療法の実施にはなお解決を要する問題点も多く、同療法が専門医の間でも医療水準として確立するには臨床的結果の蓄積を待たねばならない状況にありました。

事案

 被告である医師は、医院を開設しており、その医院は乳癌研究会の正会員であり、乳がんの手術も手掛けていた。
 医師は、

  • 乳房温存療法を一例実施した経験があり、
    また、
  • 当時、乳房温存療法を実施している医療機関も少なくなく、相当数の実施例があり、
  • 実施した医師の間では積極的な評価もされていること
  • 本件患者の乳がんが「乳房温存療法実施要綱」の適応基準を充たし、乳房温存療法の適応可能性があること
  • 乳房温存療法を実施していた医療機関

 を知っていた。

*以下、年号(平成3年)省略

1月28日~2月14日患者は、乳がんと診断された。
2月15日患者は、乳がんの治療が乳房を可能な限り残す方向へ変わってきたとの新聞の記事(乳房温存療法にも触れていた)に接した。
2月16日胸筋温存乳房切除術適応と判断した医師は、患者に、「入院して手術する必要があること、手術生検を行ったので手術は早く実施した方がよく、手術日は同月28日が都合がよいこと、乳房を残す方法も行われているが、この方法については、現在までに正確には分かっておらず、放射線で黒くなったり、再手術を行わなければならないこともあること」を説明。
2月20日医師は患者に、「乳房を全部切除するが、筋肉は残す」旨説明。
2月26日患者は、生命の希求と乳房切除のはざまにあって、揺れ動く女性の心情の機微を書き綴った手紙を医師に渡した。
2月28日医師は、胸筋温存乳房切除術を行って乳房を切除。

 患者は、自分の乳がんは乳房温存療法に適しており、自身も乳房を残す手術を希望していたのに、医師は十分に説明しないまま本件手術を行ったとして、医師に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を請求。
 控訴審は説明義務違反否定。

裁判所の判断

 一般的には、実施予定の療法は医療水準として確立したもので、他の療法が医療水準として未確立のものである場合には、医師は後者について常に説明義務を負わない。
 とはいえ、少なくとも、

  • 当該療法が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、
  • これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては、
  • 患者が当該療法の適応である可能性があり、
  • 患者が当該療法の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合

 などにおいては、
 医師の知っている範囲で、当該療法の内容、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務がある。

 乳がん手術により乳房を失わせることは、…外観上の変ぼうによる精神面・心理面への著しい影響ももたらすものであって、患者自身の生き方や人生の根幹に関係する生活の質にもかかわるものであるから、他の療法として乳房温存療法について説明すべき要請は、一層強まる。

 本件では、

  • 医師は、乳癌研究会に参加する乳がんの専門医であり、自らも一例ながら乳房温存療法を実施した経験もあって、
  • 乳房温存療法を実施している医療機関も少なくないこと、相当数の実施例があって、
  • 同療法を実施した医師の間では積極的な評価もされていた
  • 患者の乳がんについて乳房温存療法の適応可能性があった
  • 医師は、患者からの手紙によって、乳房温存療法の適応の有無、実施可能性について患者が強い関心を有していることを知った

 これらの事情からすると、
 医師は、患者の強い関心を知った時点において、少なくとも、患者の乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在を、(本件の)医師の知る範囲で明確に説明し、いずれを選ぶかについて熟慮し判断する機会を与えるべき義務があった。本件ではこのような説明義務を尽くしたとはいえない。

 このように、判例は、医療水準上未確立な療法について、一般的には説明義務を否定しましたが、上記のような事情があれば、例外的に説明義務が生じることを認めました。

 判例が説明義務を認めた事情として、患者が未確立療法に対し強い関心を持ち、医師もそれを知ったことも重要な要素になっています。そのため、患者としては、関心を持っている治療法がある場合には、医師にそれを訴え、そのような訴えをしたことを書面等の形に残しておくことは、後日説明義務で争いとなった場合に、説明義務違反の立証に役立つものになるといえます。

 なお、手術の実施が平成7年当時の事案では、乳房温存療法は医療水準上確立された療法として、説明義務違反が認められています。

弁護士 池田実佐子