東京地判平成19年5月28日

被告の設置・運営する特別養護老人ホーム(以下「本件ホーム」)において、入居者の誤嚥事故が発生し、介護職員らの過失が肯定された事案

1 花子の容態の急変は食物の誤嚥による窒息が原因か否か

「窒息」とは、呼吸機構の障害によって動脈血ガスの異常(低酸素血症と高二酸化炭素血症)を来し、生体が正常な活動を維持できなくなった状態をいう。

窒息に陥ると、喘鳴を伴う呼吸困難、チアノーゼ、呼吸停止という経過をたどる。

一般に、気道が異物で完全に閉塞された場合、窒息し始めてから五分ないし一〇分程度で、低酸素血症により脳に不可逆的な障害が発生するが、気道の閉塞が不完全である亜急性窒息であれば、脳の不可逆的な障害の発生までの時間が数十分となることもあり得る。

本件

・平成一三年八月二六日に、口から泡を出し、苦しそうにするなどしていた花子の容態の 急変は、昼食を食べている時に発生したものであり、一回目の急変が生じた際に吸引処置をしており、二回目の急変の際、花子は、幾らか噛み砕いてあったが形が残っていたかまぼこ片一つを吐き出しており、三回目の急変の際には心臓マッサージをしていた際、花子の喉の奥からかまぼこ片一つが取り出されていること

・花子の主治医は、花子の症状について窒息と診断したこと

・同医師は、窒息という診断結果に加え、慢性呼吸不全、うっ血性心不全とも診断しているところ、この慢性呼吸不全は、花子の既往歴にある慢性肺気腫と同義であって、通常、肺気腫の急性増悪は、感冒等の感染症の罹患等により呼吸状態が悪化し、低酸素血症となり呼吸不全状態にまで進展するが、それは数日間の経過で徐々に進行するものであり、突発的に起こるものではないこと

・同医師が診断した花子のうっ血性心不全は左心不全が主体であったところ、肺へは右心室から血流が送られるため、肺が異常を来すと右心室に負担が掛かり、右心不全になると一般的なうっ血性心不全(左心不全)は良くなるとされていること

↓これらの事情からすると

花子の容態の急変は、花子が玉子丼を食べていた際、かまぼこ片等を誤嚥し、気道が部分的に閉塞されたことにより生じた窒息が原因であると認めるのが相当。

2 被告の花子に対する誤嚥監視義務等の違反の有無

被告は、花子に対して、契約上、介護補償対象サービスとして、入浴、排泄、食事等の介護等を提供するとともに、サービスの提供に当たって、契約者である花子の生命、身体、財産の安全・確保に配慮する義務を負い、また、花子の体調・健康状態からみて必要な場合には、医師又は看護職員と連携し、花子からの聴取・確認の上でサービスを実施すべき義務を負っていた。

↓そして、

・被告は、花子が入院していた病院から、食事摂取時にはむせはないか嚥下状態の観察が必要である旨記載された院外看護要約を渡されており、介護職員らはそれを認識していたこと

・本件ホームには専門的な医療設備はなく、介護職員らは、医師免許や看護士資格を有しておらず、医療に関する専門的な技術や知識を有していないため、食物を誤嚥したと疑われるような場合に、介護職員らが応急処置として吸引処置を施したとしても、必ずしも気道内の異物が完全に除去されたか否かを的確に判断することは困難であったと考えられること

・花子は三回目の急変後、救急隊員が到着した時点で呼吸停止、心停止の状態であって、意識レベルは痛み刺激に全く反応しない状態にあり、病院に入院した後も、痛み刺激で動かさなかった手足を少し動かす程度には回復したものの、意識はなく、開眼もしない状態のまま推移したこと

・鑑定の結果によれば、二回目の急変後、花子は意識があり、高度の脳障害にまでは陥っていないことがうかがわれ、一回目ないし二回目の急変時に救急隊員が到着していれば、花子の意識障害の程度を軽減できた可能性が認められないわけではないこと

↓等からすると、

介護職員らは、花子に対し、花子が一回目の急変の際に口から泡を出しており、食物の誤嚥が疑われたため吸引の処置を施した結果、容態が安定したように見えたとしても、引き続き花子の状態を観察し、再度容態が急変した場合には、直ちに医療の専門家である嘱託医等に連絡して適切な処置を施すよう求めたり、あるいは一一九番通報をして救急車の出動を直ちに要請すべき義務を負っていた。

↓それなのに

介護職員らは、花子の二回目の急変後も、経過をみるために車いすに乗った花子を食堂から寮母室の前に連れて行ったが、介護職員が常時花子のそばに付いて様子を見ていたわけでなく、他の入所者の介助をしながら様子をうかがうという程度であったのであり、嘱託医等に連絡して適切な処置を施すよう求めたり、あるいは一一九番通報をして救急車の出動を直ちに要請するようなことをしなかった。

花子が窒息によって意識レベルを低下させたことにつき不法行為責任を負うというべき

3 損害額

・慰謝料 400万円

花子の直接の死因は老衰であり、誤嚥は死亡の直接の原因でないものの、誤嚥による窒息が花子の死期に影響を及ぼした面のあることは否定できないことなどを考慮。

・葬儀費用 なし

花子の死亡とかまぼこ片等の誤嚥との間に直接の因果関係がないため

・弁護士費用 相続人各一三万円

以上

弁護士 池田実佐子