前回の記事はこちら:第4回「先駆的医療を行う際の説明義務について➁」

5.先駆的医療(未確立療法)が存在することの説明義務

 これまでの記事では、医療機関が、先駆的医療を実施することができることを前提とした説明義務等について論じてきました。もっとも、あらゆる医療機関が先駆的医療を実施できるわけではありません。厚生労働省「平成25年(2013)医療施設(動態)調査・病院報告の概況」によれば、全国の医療施設は17万7769施設で、そのうち設備の整った「一般病院」(病床数が20床以上で、クリニックより診療科、設備、実施できる検査などが幅広く、比較的重症な患者に対して標準的な治療を提供する医療機関)は7474施設(全医療施設の約4%)です。この「一般病院」のうち、実際に先駆的医療を実施できるものとなれば、さらに数が少なくなります。そうすると、全医療施設の95%以上では、先駆的医療実施に関する法的リスクより、先駆的医療(未確立療法)が存在することの説明義務等に関する法的リスクがより重要な問題といえるでしょう。

 先駆的医療(未確立療法)が存在することの説明義務が問題となった有名な判例として、乳房温存療法事件(最高裁平成13年11月27日第三小法廷判決 民集55巻6号1154頁 判タ1079号198頁)があります。
 この事案は、乳がんであると診断され、乳房切除手術を受けた原告が、自己の乳がんが、当時充分に確立されているとはいえなかった乳房温存療法に適しており、かつ、原告も乳房を温存する手術を希望していたのに、被告医師が、乳房温存療法について充分に説明しないまま、乳房を切除する手術を行ったとして、診療契約上の債務不履行又は不法行為に基づき、損害賠償請求を行ったという事案です。
 第1審判決(大阪地判平8・5・29)では、乳房温存療法について説明義務違反を肯定しました。控訴審(大阪高判平9・9・19)では、乳房温存療法についての説明義務は肯定しつつも、説明に不十分な点はなかったとして、原告の請求(及び付帯控訴)を棄却しました。
 最高裁は、

一般的にいうならば、実施予定の療法(術式)は医療水準として確立したものであるが、他の療法(術式)が医療水準として未確立のものである場合には、医師は後者について常に説明義務を負うと解することはできない。とはいえ、このような未確立の療法(術式)ではあっても、医師が説明義務を負うと解される場合があることも否定できない。少なくとも、当該療法(術式)が少なからぬ医療機関で実施されており、これを実施咲いた医師の間で積極的な評価もされているものについては、患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり、かつ、患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては、たとえ医師が当該療法(術式)について消極的な評価をしており、自らはそれを実施する意思を有していないときであっても、なお、患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)の内容、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである。

として、未確立療法に関する説明義務の一般論に触れ、

被告が原告に対してした乳房温存療法の説明は、同療法の消極的な説明に終始しており、説明義務が生じた場合の説明として十分なものとはいえない。

として、原判決を破棄し、事件を大阪高裁に差し戻しました。その後、差戻審において、被告に対し、120万円の損害賠償(慰謝料として100万円、弁護士費用として20万円)の支払いを命じる判決がなされました。
 最高裁判決で特に注意すべきは、乳房温存療法の説明義務の程度が比較的高度に設定されていることです。この根拠として、最高裁は、

手術により乳房を失わせることは、患者に対し、身体的障害を来すのみならず、外観上の変ぼうによる精神面・心理面への著しい影響ももたらすのであって、患者自身の生き方や人生の根幹に関係する生活の質にもかかわるものであるから、胸筋温存乳房切除術を行う場合には、選択可能な他の療法(術式)として乳房温存療法について説明すべき要請は、このような性質を有しない他の一般の手術を行う場合に比し、一層強まるものといわなければならない。

と述べており、実施療法と選択肢となり得る療法によって得られる精神面・心理面への影響の違いが、説明義務の程度に影響するといってよいでしょう。
 また、本件では、原告が、乳房温存療法を選択するか否かについての詳細な心情を綴った手紙を被告医師に交付したと認定されていること、被告医師が、「乳癌研究会の正会員」であったこと、「診療科目に乳腺特殊外来を併記して乳がんの手術を手掛けていた」ことから、未確立療法に関する知見を十分に得ることができたであろうことが判断の背景になっているものと思われます。

 なお、上記最高裁判決の結論を前提とすれば、未確立療法について知見を有する医師が有しない医師よりも高度の説明義務を負わされることとなります。この点、一般的な医師の説明義務の前提となる、医師が有するべき知見の水準(≒研さん義務の基準)は、医療水準が基準となります(最二小判平成7・6・9)。そうすると、一般的な医師が、直ちに、医療水準より高度な内容の未確立療法についての説明義務を負わされることにはなりません。医師が当該未確立療法に関する知見を特に有していた場合に、その医師は、未確立療法についての説明義務を負担することとなり、説明義務の範囲は、その医師の知見に限定されます。したがって、医師に重すぎる説明義務を負わせる結果にはならないといってよいでしょう。

先駆的医療に関する諸問題 シリーズ一覧

第1回「先駆的医療とは」
第2回「先駆的医療実施の要件について」
第3回「先駆的医療を行う際の説明義務について➀」
第4回「先駆的医療を行う際の説明義務について➁」
第5回「先駆的医療(未確立療法)が存在することの説明義務」