第1 設題・術中手技の過誤事例(再掲)

 患者Aが、B医師の執刀下で手術Xを受けたところ、術前に思いもよらなかった傷害を受けた場合、AさんはB医師に対して、あるいはB医師を使用するC病院に対して、損害賠償を請求できるでしょうか。
 今回は、B医師の手術手技が著しく稚拙であったために、術中にAさんの身体のうち本来傷付けるべきでないところに傷が付いたという場合を考えます。

第2 立証準備

1 診療録等の収集

(1)診療録等の存在

 医師法は第24条1項で「医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。」と規定し、保健師助産師看護師法も第42条1項で「助産師が分べんの介助をしたときは、助産に関する事項を遅滞なく助産録に記載しなければならない。」と規定しています。
 看護師が看護記録を記載しなければならないと明示的に示した条文はありませんが、医療法第22条各号及び医療法施行規則第21条の5第2号が地域医療支援病院に備え置きを義務付けている「診療に関する諸記録」の中に看護記録が含まれていることなどから、看護師が医師や助産師同様、看護に関わる行為をした際に看護記録を記載することは当然のことと考えられています。
 また、実際にも、「記載のないことは事実として存在しなかった。」と扱われるのが基本ルールですから、たとえば適切に経過観察したにもかかわらずその記録を怠っていなかったのであれば、適切な経過観察はされていなかったと扱われたとしても止むを得ません。そのような事態を回避するためにも、病院に勤務する医療従事者らは、診療に関わる行為を記録しています。

 そして多くの場合、医療従事者らは、この先に起こり得る医療事故を予期して虚偽の記載をするということはほとんどなく、よりよい医療をより適切に提供するための必要な情報として事実を記載しています。そうでなければ、不適切な薬や手術を患者に与えてしまうことになりかねず、それこそ医療過誤が起こるからです。また、裁判所も(おそらく)そのように認識していることから、基本的に診療録の証拠価値は非常に高いといえます。

 ただし、私の印象ですが、まだまだ診療録を備忘録程度にしか思っていない医療従事者も多く、レセプトに書いてある医療行為の実施記録が診察記事中に存在せず結局当該医療行為の存在及び時期が不明であったり、字が汚すぎて判読が困難である等の場合もあります。この点は、もし本記事を読んでおられる医療従事者の方がおられたら、今後ぜひ気を付けていただきたいと思います。

 少し横道にそれてしまいましたが、今回の件では、C病院には、B医師のX手術記録、麻酔記録、看護師による手術記事があり得るでしょう。そのほか、手術動画が存在するかもしれません。
 術後どの程度で容態に変化があったかについて、医師指示簿、看護記録、経過記録、検査記録にも重要な記載があるはずです。
 Aさんには手術以前に特に今回の損害につながるような既往がなかったかについて、問診票や診療録表紙も収集すれば、X手術時点でのC病院の認識を推測できますし、事実もある程度確認できます。
 そのほか、院内でAさんについて「事故が起きてしまった・・・」という報告会議がもたれ、その議事録が作成されている可能性もあります。

 これらを、できる限り集める必要があります。

(2)収集方法

 医療訴訟において一番の立証資料となるのは、相手方病院、前医及び後医の診療録です。そのため、何をおいてもこれらの収集が最も重要です。収集方法は、大別して二通りです。

① 任意開示
 診療録等は、個人情報保護法、厚生労働省「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン」「診療情報の提供等に関する指針」等の定めに則り、患者の求めに応じて開示されます。

② 証拠保全
 もっとも、医師が診療に関して説明を十分に行わない、不合理な態度を取る等、診療録等の改ざんや隠ぺいが疑われるときには、裁判所に申立てを行って、強制的に診療録の開示を求めることもあります(証拠保全)。
 当事務所ではこの証拠保全に関しても取扱件数が多く、過去の医療ブログでも何度か言及があります。証拠保全手続に何度も立ち会っていると、裁判所に対するインカメラの促し等の手続きにも慣れてきますし、過去に取り扱った電子カルテと同じ形式の電子カルテの場合には、病院の記録管理者に対して、こういう情報がこういうところにあるのではないかと指摘できるようになるなど、診療録等を漏れなく集めるための手段が増えてきます。

(3)診療録等の改ざん・隠ぺい事例

 苦労して集めた診療録等が、事後的に改ざん・隠ぺいされていたということは、実は意外に多く経験します。
 ただ、悪意をもって改ざん・隠ぺいされた場合に限らず、熱心な医療従事者が診療録を見直していて、「ああ、そういえばあの時これもあったな。」などと書き足すこともあったりします。
 もっとも、「あの時これがあった」の記憶が正しいとは限りません。改ざんや隠ぺいのデメリットや、悪意か熱心かの判別の難しさ等を踏まえれば、当時の知見を最も適切に表現しているのは当時の記載であって、後の記載は、よほどの理由がない限り真実から遠い記載だというルールが設定されることが妥当でしょう。
 必要な診療情報を一回のタイミングで記載しきれなかったことによるデメリットは、医療機関側が甘受すべきです。

2 診療当時の医学文献の収集

 医師に要求される注意義務の基準は、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」(最高裁昭和57年3月30日判決 ・昭和54(オ)1386号)とされますから、注意義務を判断する基準時は、その診療行為時点です。

 診療ガイドラインや検査手法を記載した文献は、当時になるべく近いものを探し、本来こうあるべきだった理想の診療行為がどの程度普及していたものかを調べます。医薬品の作用が問題になるならば当時の添付文書を取り寄せます。
 当事務所内にも基本的な文献はありますし、大学の医学部図書館に通う、国会図書館に謄写を依頼する、医薬品の製造販売会社にお願いする、協力医から借りるほか、弁護士会照会も利用することがあります。また、調査過程で見つけた類似の裁判例を担当した弁護士に電話をして、どのような文献を利用したのか教えてもらったこともあります。
 また、私は経験したことのある事例とその隣接分野について、一度集めた資料をファイルに編綴していますから、こちらにもかなりの情報があります。

 法と倫理と真実に反しない限り、事件を依頼してくれた方(本件ではAさん)のために、全力で資料を集めます。

3 協力医の探索

 並行して、協力医も探します。
 大切なことですが、協力医に対して、こちらが求めることを明確にしておく必要があります。訴訟前に医療過誤かどうかの見通しを教えてもらうのか、医学的にどこがどうなったかの機序を教科書的に教えてもらうのか、訴訟・交渉中に意見書を書いてもらうのか、意見書は匿名でいいのか顕名をお願いすることになるのかといったことです。

 当然のことですが、医療機関は相互に連携しています。小さな診療所に素晴らしい名医がいたとしても、診療所の設備・人員・時間等の制約のために取り扱えない重病を抱えた患者さんが来院すれば、大きな病院に転送しなければいけませんから、転送先となる大きな病院を相手方にしたときに、その小さな診療所の名医に対して名前を出して意見書を書いてくださいとお願いしても、立場上難しいことが多いでしょう。
 出身大学ごとの学閥も無視できません。

 設例では手術手技が問題ですから、たとえばAさんの今の傷を見て、どのような手術だったのかを合理的に推測できる医師、または手術動画が残っていればそれを見て、本来こう縫うところがこう縫ってしまっているからいけないなどと指摘してくれる医師が必要です。
 それも、B医師やC病院とは、患者を紹介し合う関係になく、出身大学の系列も異なる医師が望ましいといえます。

4 次のステップへ

 つぎは、実際に協力医と調査する場面について解説します。
 以下次回。

医療過誤に関する損害賠償の類型と思考過程・類型1「術中手技の過誤」シリーズ
(1)主張
(2)立証準備
(3)調査
(4)訴訟準備
(5)訴訟を起こしてから
(6)訴訟の中盤