医師の医療行為に注意義務違反が認められたとしても、死亡等の生じた結果について責任を負わせるには、因果関係の立証がなされなければなりません。

 因果関係の立証には、医療行為が作為か不作為かを問わず、その医療行為が結果を招来させた関係を認めうる「高度の蓋然性」の証明が必要とされます(最判平成11・2・25)。しかし、特に不作為の場合、「○○という適切な治療が行われていれば」という仮定の話になるため、その立証はとても困難なものといえます。

 それでは、医療行為に明らかに注意義務違反が認められるにもかかわらず、因果関係の立証ができなかった場合、患者側は何ら責任追及をすることができないのでしょうか。

 この点について最高裁(最判H12・9・22)は、なお医療機関に責任を負わせうるという判断をしました。

事案の概要

 患者Aは、自宅において狭心症発作に見舞われ、病院への往路で自動車運転中に再度の発作に見舞われ、心筋こうそくに移行していった。診察当時、心筋こうそくは相当に増悪した状態にあった。点滴中に致死的不整脈を生じ、Aの容体が急変し、不安定型狭心症から切迫性急性心筋こうそくに至り、心不全を来し死亡した。
 B医師は、Aを診察するに当たり、触診及び聴診を行っただけで、胸部疾患の既往症を聞き出したり、血圧、脈拍、体温等の測定や心電図検査を行うこともせず、狭心症の疑いを持ちながらニトログリセリンの舌下投与もしていないなど、胸部疾患の可能性のある患者に対する初期治療として行うべき基本的義務を果たしていなかった。
 B医師がAに対して適切な医療を行った場合には、Aを救命し得たであろう高度の蓋然性までは認めることはできないが、これを救命できた可能性はあった。

判断

 (医療水準を満たさない)医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、不法行為責任を負う。

 なぜなら、生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものということができるから。

 この判例は、患者の死の結果について因果関係が立証できないことにより、責任を負わせられない場合でも、死亡時点での生存維持の可能性を保護法益と捉え、不法行為責任を認めています。なお、その損害については、精神的苦痛に対する慰謝料の範囲で認めています。

 上記判例は、生命の重要性を根拠としていますが、死亡には至らないものの重大な後遺症が残った事案でも、同様の判断がされています。医師が患者を適切な医療機関に転送する義務を怠り、患者に脳原性運動機能障害が残った事案で、最高裁(最判平成15年11月11日)は、

適切な転送が行われ、適切な医療行為を受けていたら、重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性が証明されるときは、不法行為責任を負う。

と判示しました。

 「相当程度の可能性」について、具体的にどの程度の立証が求められるのかは、未だ明確な基準はありません。ただ、高松高判平成18・1・19は、

医師のした医療行為が当時の医療水準を下回るものであった場合には、延命の相当程度の可能性があったものと事実上推定される

として、患者側の立証の負担軽減につながる判断をしています。

 医療裁判において因果関係の立証は大きなハードルのひとつですが、上記判例からすると、因果関係が立証できない場合でも責任追及の途は残されており、さらにその場合の患者側の立証の負担軽減も図ろうとされています。