「即位の礼」や「大嘗祭」は憲法に反する?

 今後、来年の即位の礼や大嘗祭が憲法に反するという裁判が提起されるそうです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181108-00000109-kyodonews-soci

 本年12月上旬に訴訟提起するとのニュースであり、そもそも「訴状」も見てないので正確ではないかもしれませんが、おそらく(99%)、行政事件訴訟法第3条第7項の「差止めの訴え」を提起するのでしょう。
 この種類の裁判は、国や県などの「行政機関」が何かの行動(工事をする、予算を執行するなど)をしようとする際に、本来であれば、法律やその他の理由によりやってはいけない、やるべきではない場合に、その行政機関の行動を、司法である裁判所に差し止めてもらう手続です(裁判所に、仮の判断を求める手続きもあります)。
 最近では「原子力発電所の建設や運転を差し止める訴訟」なんかが有名ですね。

 なお、既に行われてしまった行政の行動を、後から「やめろよ!」という訴訟は、「処分の取消しの訴え」といいます。
 最近では、「競輪の場外車券売り場設置の設置許可を取り消す訴訟」が有名です。

どのような中身の訴状になるか

 さて、ニュースによると、「キリスト教、仏教などの宗教関係者」が原告となるようです。
 このような、今、わかっている情報から考えられる「訴状」の中身を想定するに、おそらく、

  • 憲法は、政教分離(憲法第20条第3項が規定する「国などは、宗教教育や宗教活動を行ってはならない」という原則)を規定している
  • 即位の礼や大嘗祭は宗教である
  • したがって、宗教である・即位の礼や大嘗祭に予算を使うことは憲法に違反するから、差し止める

 というものでしょう。

 まぁ、わざわざ弁護士に依頼して訴訟提起するのでしょうから(この件がそうなのか分かりませんが、時には弁護士がたきつけることもあるようです)、それなりの勉強をしてそれっぽいことを書いてくるのでしょう。
 しかしながら、日本国憲法が明記する「天皇制度」を宗教と勘違いしている点で間違っています。
 東京地方裁判所が、とっとと却下なり棄却を判断することを切に望みます。

 いろんな学者がいろんなことを言っているので、素人である私は「宗教論」、「神道論」などは学者の方々に委ねますが、彼らが訴訟手続きに提出するであろう「法的主張」に対しては、

  • 即位の礼や大嘗祭は、誰がどう考えても「儀式」である
  • 「儀式」は、憲法第7条第10号によって、天皇の「国事行為」として明記されている
  • したがって、宗教なのか宗教ではないのか判断するまでもなく、即位の礼や大嘗祭に予算を使うことは認められる

 という裁判所の判断がなされるのが目に見えています。

宗教上の活動と裁判所の判断について

 おそらく、彼らは、「即位の礼や大嘗祭は宗教活動であって儀式じゃねぇ!」などと吠えてくることでしょう。
 しかし、実は、裁判所は、「ある行動がある宗教の宗教上の活動かどうか」については、なかなか判断できません。
 なぜなら、世界に「宗教」と名のつくモノはたくさんあるでしょうが、「ある行動がある宗教上の活動かどうか」を判断するためには、その「宗教の教義や教えに合致した行動かどうか」を検討しなければなりません。
 裁判所というところは、事実に法律をあてはめて結論を出すところなのですが、およそ「宗教の教義や教え」なんかに法律をあてはめてることなんてできませんし、「ある行動がある宗教上の活動かどうか」、すなわち「宗教上、正しい行動かどうか」なんて「その宗教の教義や教えが正しいかどうか」を考えなければならないわけで、こんなこと裁判所が出来るわけありません。

 例えば、「キリスト教の洗礼という活動は正しいから、子供が洗礼する際に目に水が入ってしまい失明してしまっても、これは洗礼という活動だから違法ではない」、「ホニャホニャ教の眠る時は犬を抱っこして眠らなければならないという教義はホニャホニャ教の正しい教義であり宗教活動として認められる。こういう宗教活動のために刑務所に犬を持ち込むことを許可した法務省の判断は正しい」などといった判決ができると思いますか?

 このように考えれば、彼らが提起しようとしている訴訟が、(少なくとも)現行の司法制度においては、いかにおかしなものであるか理解できることでしょう。

 結局のところ、天皇制反対などと叫ぶ一部のイデオロギーの方々のスタンドプレー、アピールに「司法」が悪用されているだけではないでしょうか。
 マスコミも、いちいち取り上げないで欲しいです。