少し前、國學院大學で、学長とマスコットキャラクターを逆さまにして掲載したビラがインターネット上で話題になったのをご存じでしょうか。ウサギのイラストに「学長」と記され、逆にマスコットキャラクターとして掲示されている部分に現学長の顔写真が載せられたペーパーが、SNS上で「公式の印刷物」であるかのように吹聴されて拡散し「炎上」。「國學院大學」という、一見してお堅そうな学校のマスコットキャラクターが「こくぴょん」というゆるキャラだった、というギャップも相まって、世間の好奇心を煽ったのであろうと推察しますが、これに対して大学側が、同紙がオフィシャルなものでないとした上で、ビラを作成した学生を特定し、自宅待機処分にするとともに処分を検討していると報じられ、さらに火に油を注ぐ事態となっているようです。
この事件、学内における過激派学生らの抗争が背景にあるようで、必ずしも「学長のプライドを傷つけた」などという単純な問題ではなさそうな様子。しかし、ビラの記載内容に関連して学校が在学生に対して処分を行うというのは決して穏やかではありません。
國學院しっかりしろwww
— 大久保 (@W0HKB) 2016年4月9日
写真逆だろwwwwwwwwwww pic.twitter.com/UXq3i8sbnP
(話題となったツイート)
在学関係と学生に対する処分をめぐっては、昔から憲法上の問題として論ぜられてきた経緯があります。著名な最高裁判例としては、「昭和女子大事件」と称される、昭和49年の判決が挙げられます。この事件は、学生の政治的言論活動を規制する「生活要録」に違反して政治活動を行った学生に対し、大学側が退学処分を行ったところ、学生側が同大学の学生たる地位の確認を求めたというものでした。
裁判所は、大学という教育機関においては、その機能を維持運営していく上で在学する学生を規律すべき包括的権能が認められるべきであるとして、大学側の退学処分を適法であると判断し、学生側の請求を棄却しました。この事案は、憲法の規律が及ぶ射程、専門的には「私人間(しじんかん)効力」という論点の文脈で論ぜられることの多い憲法判例なのですが、結論において表現内容に踏み込み、退学処分を是認したものであるとして、学説からの批判が多いものでもあります。
学生であっても表現の自由が保障されていることは言うまでもない一方、これが絶対無制限のものでないことも当然です。昭和女子大事件では、学生に対して「穏健中正」であるよう指導する大学側の方針と当該学生の政治活動等が真っ向から対立し、校風を維持したい大学と表現の自由を貫きたい学生のいずれを優先させるべきか、という点が問題となりました。
國學院大學のビラ問題でも同様に、國學院側が守りたい「モノ」と学生の表現の自由とをどのように調整すべきかが問題となります。学生側の主張する「表現の自由」が単なる「パロディを自由にやらせてほしい」という点にとどまるのか、過激派との対立に関する言論の制約を許さないという点に及ぶのか。大学側の主張する保護法益が大学の秩序維持なのか、単なる「学長のメンツ」なのか。処分がなされるとして、取り返しのつかない「退学処分」という重いものなのか、停学や厳重注意などの軽微なものなのか。
本件、この先どのような展開を見せるのか予断を許しませんが、最終的に上記のような憲法問題に発展する可能性もあり、一法律家としては興味のあるところですね。